読解力を鍛える(つもりの)ために高校現代文の参考書を読む

タイトルどおりの趣旨で次の1冊を読んでみた。

このところ「 果たして自分は文章を、その意図するとおりに読めているのか」と不安を感じていた。そのきっかけとなったのが本書。 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
 

上記で若干紹介されている「リーディングスキルテスト」を試してみたところ、ほぼ間違いはなかったのだが全問正解でなかったところに、自身のことながらショックを受けた。親であるあたしがこのザマでは、子どもたちへの家庭での言語理解の涵養にも多大な影響を及ぼすのではないかと危惧するところがあった。

小中学校・高校と国語教育を受けてはきたが、よく考えると文章読解のための参考書を使って学習した記憶がほとんどない。漢字の読み書きは、小学生の頃、親がチラシの裏を使って書き取り問題を出してきたのを解いていたことがあったように記憶するが、もともと学校に上がる前から、町のなかの看板や電話帳の広告にある漢字を親に尋ねては読み方を覚えるのが好きだったので、書くのはともかく読むのに苦労したことはあまりなかった。ただし、字が読めたからといって文章の意味内容が読めていたのかはいささか心もとない。長じてからも気の向くままに本を読んでいたという感じで、テストのかたちで判定されると、中学生くらいまでの試験ではほぼ間違うことはなかったが、高校生くらいになると、今回読了の書名どおり「何となく解いて微妙な点数で終わってしまう人」だった。

さて、あたしのような「書いてあることはぼんやり分かっている、ような気がする」程度の読解力の人間からみて本書は、高校生向けの参考書ながら文章を読む際のポイント集としてなかなか参考になった。

本書を読むにあたって個人的に重視していたのは「要旨をとらえる文章の読み方がどのように書かれているか」ということだった。この点に関し本書では「文章内での対比構造を捉えよ」と表現を変えながら繰り返し教える。図式的に理解できるよう、対比構造をマトリクスに落とし込んでいく手法も提示されている。この手法に沿って本書に導かれるまま読んでいくと、なるほど、ぼんやりと字面を追っていたのが(明瞭にとまではいかないが)文意をよりはっきり捉えられるようになった気がする。

また、「問題の答えはすべて本文に書かれているわけではない」という筆者の教えは、定期試験や受験の必要のない一般読者にとっても意義ある指摘だと感じた。たとえば、記述問題における「どういうことか」系の設問には「本文の内容を〈まとめる〉」「言葉を〈言いかえる〉」「論理の飛躍を〈埋める〉」がある(pp.124-127)とし、特に「論理の飛躍を〈埋める〉」ということは、「途中の因果関係が省略されている」ので埋めるべき内容が本文中にない場合、読者が「つじつまが合」うように内容を補え、と教えている。この省略されている部分を適宜読者が補完することが、文意をはっきりとらえるのに必要なプロセスなのだ。そのことを改めて意識化させてくれたように感じる。つながりの見えないふたつの項目の間に架橋して因果関係の道筋をつけること、これができていないから理解があやふやなままなんだなと自戒した。

さて、高校生や大学受験生にとっての現代文の参考書として本書を評価すると、文体の読みやすさで「やさしい」と感じる向きもあるかもしれないが、内容はそれほどやさしくはないような気がする。薄手の本に55項目も盛り込んでいるため、例題として引用している過去問がかなり切り詰められて挿入され、そこに著者が解説を加えているため、ところどころ「なぜそういう説明になるのか」を理解するまでに立ち止まることもしばしばだった。講義系の参考書や解説の詳しい問題集に手をつけてから、この本で問題への対処のポイントを振り返る、という使い方が望ましいように思われる。本書に加えてもう一冊取り組めば、成績アップの高い効果が得られるようになると考える。試験されない社会人にとっても、自分が文章を「読めて」いるかを確認するのに有意義だと思う。

ところで、そういえば、この本、読みかけている間に増補版が出てしまった……。

 

大人のための国語ゼミ

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増補版 大人のための国語ゼミ (単行本)

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(なんで版元が山川出版社から筑摩に変わったんだろう?)

あともう一度これでトレーニングしなおそう。

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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